【第一話「姉弟子」】
第一章 §1-01
崖に挟まれた坂を注意しながら進むと、そこは生命力溢れる森の中だった。
両手を広げたよりも太い木々が、天を覆い隠すかのように乱立している。地形も波打つように高低差があり、見通しは良くない。とはいえ、辛うじて道のようなものが続いているので、進むことはできそうだ。
とりあえず、裸足だと足が痛そうなので、柔らかくて丈の短い草の上を進んでいく。獣も怖いが蛇や虫も怖い。なので剣は抜き放ちながら進む事にする。
小一時間ほど進むと、草花のむせ返るような甘い匂いが一層強くなり、木々の向こうに大きな平原が見えてきた。最後まで警戒しながら森を抜けると、そこには————
「……マジか。そりゃねえだろ」
かつて見たことが無い程の異様な光景が広がっていた。
遠く地平の彼方には紫の雪に覆われた巨大な山脈が横たわっており、広大な森が炭を塗ったように真っ黒に染まっているのが見える。
更に眼下には、ボコボコと小高い丘が古墳のように広がっており、紫色の水でできた川が丘を縫うように流れている。
俺はひとしきり天を仰いだ後、剣を丘に突き立てた。
「やっぱ、地球じゃなかったか。不味いなぁ、俺音楽以外の知識ないんだけど……」
適当な岩に腰を下ろして、とりあえず目の前の光景を見つめ直す。ここがどんな場所なのか、少しでも考えておくべきだ。
地形だけ見れば、北欧とかグリーンランドに近いだろうか。映画とか写真でしか見たことのないような大自然だ。
だが、あの色は不味いだろう。紫とか黒とか、絶対に危険だ。
先程歩いていた森の植物は普通に緑色だった。それがどうなれば、あんな色に染まるのだろう。地球では紫の雪なんか聞いたこともないし、予測なんて立てようもない。それに他にも可怪しいことがある。
「——そもそも何で俺は寒くないんだろうな。半裸なのに。しかも、草原には何の花も咲いてないのに、かなり甘い香りがするし」
最早ホラーである。さっきまで全裸で水浴びしてたんだけど、俺大丈夫かな?
しかし、本当にここはどこなんだろうな。地球じゃないとすると、もう戻れる可能性も無い気がする。
いや、宇宙人か異世界人か未来人か知らないが、俺を拉致ってここに捨ててった奴が居る筈だ。そいつを探せば、まだ可能性も————
「……そういえばタイムスリップなんて可能性もあるな。
恐竜とか謎の大自然があるんだから、何万年か前の地球って可能性も大いにある。つまり、ここはまだ地球かもしれないってわけだ。よしっ、そう考えるとまだ元の時代に戻れる可能性も………ないな。別に」
一瞬上げかけていた腰を岩に戻す。俺は何に期待したんだろう。恥ずかしい。
顔をゴシゴシ揉んでいると、不意に耳鳴りが聞こえた。
ザザッザザッ………
……ザッ…ピーッ……
『 トオ…! 聞…るっ!? トオル君! 』
ザザッ…………
「————えっ!?」
ラジオとかで聞いたことのある音と共に、電子音が聞こえてくる。だがその中に微かに女性の声のようなものが紛れている。
俺はハッとなり、周囲を見渡すが誰もいない。だが確かに、自分の名を呼ぶ声が聞こえてくる。
ザザッ………ザッ……
……ピーッ……
……ガガッ
『 ——トオル君! 私の声聞こえる!? 』
音が急に鮮明になり、先程よりもよりはっきりと女性の声が聞こえる。
俺は思わず立ち上がり、大声で答えていた。
「あ、あの、聞こえますけどっ! どなたですかっ……!?」
音は変わらず頭の中で響いている感じだ。そういえば、思わず声に出して返事を返したが、ちゃんと通じているのだろうか。
しばらく待っていると、先ほどと違って落ち着いた女性の声が返ってきた。
『——よ、良かったぁ~! やっと繋がったみたいだね。もう、ビックリさせないでよ。転送に失敗したかと思ったじゃない』
その女性は安心したような声でそう告げた。
俺は周りを見渡すが、やはり誰も見当たらない。無線かラジオを持ってないか体中を探すが、そもそも半裸だった。
『やっぱりそこの世界はちょっと遠いから、繋がりずらかったみたいだね。君の体を作るのにも二日くらい時間が掛かったから心配したんだよ。
で、どうよ、問題なく動けてる?』
この女性はまるで知り合いのように話してくる。一体、何の話をしているのだろう。よく分からないが自分の体を適当に見ながら確認する。うん、多分異常はない。
「あの、体は問題ないと思うのですが、貴女はどこにいるんですか? 姿が見えないのですが……」
『——えっ?』
一瞬の沈黙。辺りには小鳥だと思われる鳴き声が響いている。
しばらく待っても彼女の声は聞こえてこない。無言なのが怖くなり、俺が「あの……」と声を出した瞬間、頭の中に突然大きな声が響き渡った。
『あ、そっか~! 記憶を封じてるから、私のことも忘れちゃったのか。
説明とか面倒だけど今回はしょうがないか……』
何だかガッカリしている様だけど、ちょっと不穏なことを言ってる気がする。
どう言葉を切り出そうか悩んでいると、いきなり目の前の空間に緑色の薄いパネルがクルンと現れた。
驚いて距離を取ると、そのパネルにはいつの間にか黒髪ボブカットの白い貫頭衣を着た少女が写り込んでいた。
『実はさ、師匠が——って、あんたなんて格好してんのよっ! バカなの? バカなのね? バカなんでしょ!?』
パネルの中の少女が、顔を真っ赤にして机をドコドコ叩いている。
俺はハッとなって乳首を二本指で隠すが、「そこじゃねーよっ」と怒られる。
彼女が落ち着くのを待っていると、パネルから溜息の音が聞こえてきた。
『馬鹿だとは聞いてたけど、まさかこれほどとは思ってなかったわ。
師匠が見たらきっと呆れるわよ、こんな原始人を弟子にとったなんて……』
どうやら呆れ返っているらしい。しかしそれよりも気になる単語が聞こえた。
「原始人……?」
俺がそう呟くと、少女は「おらよ」と軽く手を横に振った。すると目の前もう一つのパネルが現れ、そこには半裸のオッサンが写っていた。
ふむ。こいつは誰だろうか? 長く伸びた黒髪と、茫々に伸びた髭で顔がほとんど見えない。前髪の隙間から辛うじて見える切れ長の目から、何となく男なのが見て取れる。体の方はなかなかの筋肉美の様だが、腰から藻が生えている姿は正直頂けない。彼のファッションセンスはゼロと言ってもいいだろう。なるほど、確かにこいつは原始人と形容すべき姿をしている。
——あ、これ、俺だ。
「何だ、悪口を言われたのかと思った……」
『悪口だっつーのっ! 何でそんな事になってんのよ!』
また少女はぷりぷりと怒り始めた。これは話を変えた方がいいだろう。
「それより君は色々と状況を知ってるようだけど、出来れば教えて頂けませんか? 何故自分がこんな所にいるのか、全く記憶にないのです……」
そう尋ねると、彼女は腕を組みながら、う~んと唸り始めた。
『それなんだけど、どこから説明すればいいのか……まぁとりあえず、私のことは姉弟子と呼びなさい。それと、君は師匠から修行しに行く世界をどこにするか提案された時、自分の意志でその世界に行くことを決めたんだ。だからまずは、星間移動の責任の所在が君にあることを理解して欲しい』
さらっと意味不明なことを言われた。
「あの、師匠とか姉弟子とか全く記憶にないんだけど………」
『そりゃある筈ないわよ。私達と出会ってからの記憶はその体に転送してないもん。
君の今の体は、その惑星用に新しく造り出した物だよ。最近じゃ地球人にとっても常識となりつつある概念、アバターってやつだね。
デザインは貴方の本当の肉体をほぼコピーして作ったから、呼吸器官以外は同じだと思ってくれていいわ。
元の体はこちらで保管してるから、その世界から脱出する時はちゃんと戻してあげられるよ。安心してね』
………ほ、ほう。え、マジかこれ。
というかそんな科学、俺の知る地球にはないんだが。
そういえばこの空中に浮かんでる緑のパネル——パソコンのウィンドウみたいなホログラフィック的何かも、俺の知る科学知識の中では実現してないな。
「えーっと、そうなると姉弟子と師匠って何者ですか? 先程、地球人って発言ありましたけど、宇宙人には見えませんが……」
ちょっとした冗談のつもりだったのだが、意外な答えが帰ってきた。
「まぁ、それも広義の意味では間違いじゃないかな。私達生命の本体である『分け御霊』は、宇宙を移動する存在だから、貴方も私も宇宙人なのは間違いないかな。
今の私の肉体は、地球育ちの地球人と言ってもいいけど、師匠なんか生まれも育ちも宇宙人よ」
ちょ、ちょっとオカルト臭い話になってきたぞ。『分け御霊』とか神道系の宗教の匂いもする。やばくね、コレ。
「な、何で俺に宇宙人の知り合いがいるんすか? 俺ただのフリーターだった筈なんすけど……もしかして攫われちゃったとか?」
『貴方みたいなチャウチャウ顔のオッサンなんて攫うわけないでしょ。貴方がたまたま私達の拠点を見つけて入って来ちゃったのよ。
っていうか、そんなこと元の肉体に戻れば全部思い出すんだから、放って置きなさい。それよりも、今はそちらの状況を理解する方が先決でしょ。結構危険な世界だって聞いてるんですけど?』
そういえばそうだった。恐竜みたいな鳥に襲われたばかりだよ。
『貴方には、その世界での目的や仕事を色々と説明する必要があるんだけど、まずは安全の確保が先ね——』
彼女はそう言うと、鏡のパネルの方を操作して、何やら草原の動画のような物を表示させた。
よく見ると、その草原の中に原始人みたいな半裸の男が剣を持って突っ立っているのが見える。俺じゃん。
『これはこの付近の詳細な地図情報兼カメラだよ。拡大すると徹くんが突っ立ってるのが見えるでしょ。これは君の生体エネルギーや視覚情報を元に構築した、リルタイムな立体映像だね。
指先でカメラを動かして周囲の確認が出来ます。色んな技術を使ってるから、半径三十メートルくらいの情報を記憶して地図にもなるんだよ。この情報を有効に使って、旅を安全に続けて下さい。
一応、マップウィンドウと発声することで表示できるようにしておくね』
地図を見ると、やや上空から俺の後ろ姿が確認できる。十階建てのマンションくらいだろうか。立体とかそんなレベルじゃない。現実と変わらないほど精密な映像だ。
方角や切り替えボタンも表示されていて、カメラを移動したりズームしたりできる。
上を見てもカメラはない。だがパネル内では、少し慌ててる自分の姿が映し出されている。
『ああ、カメラとかないわよ。君の知る科学技術じゃねーから。現実と変わらないように見えるだろうけど、あくまで作った映像だから注意してね。それほど遠くのことまでは確認出来ないし、頼り切らない方が懸命だよ』
「す、凄いな。何でも有りじゃないっすか……!」
完全なオーバーテクノロジーである。これじゃまるでゲームの世界みたいだ。
『あなたの目的の一つ目は、そっちの世界を調査する事だからね。調査自体は私や他の調査員が君の体を通して周辺の空間を調べるから、君は死なないよう注意してればいいよ。あ、それとお腹が空いた時は、植物とかに近寄って手をかざせば食べられるかどうか調べることも出来るから、私に聞いてね』
それは有り難い。正に至れり尽くせりじゃないですか。
「何だか便利過ぎて、ゲームの仮想世界みたいな感じがしてくるな。もしかして他にも色々出来るのかな?」
そう言ってみると、彼女は少し困ったような顔で笑う。
『まぁ、確かに色々と出来るわよ。追々説明してくけど、今でも地味にバージョンアップしてるからね。
この技術は宇宙人——星渡りの民達が危険な惑星を探索する時に使っていた技術の一つなのよ。宇宙船が使えないような特定の惑星で、アバターを使って調査する時に使う限定的なやつ。
今じゃ探索ギルドの|Seekers《シーカーズ》って連中が、とある大型惑星を調査するために魔改造しちゃってて、かなり凝ったゲーム仕様になってるの。ユーザーインターフェースは使いやすくなったけど、複雑化しすぎて私も全ては知らないのよ』
探索ギルドの|Seekers《シーカーズ》って、何だか凄く楽しそうだな。そんなのあるのに何で俺は一人なんだろう。
記憶も服も助けもない状況で、恐竜と剣で戦うとかハードモード過ぎる。数人派遣してくれないかな。
「しかし探索ギルドって、ファンタジーみたいっすね……宇宙人さん達も剣で戦ったりするんすか?」
そう探るように聞いてみると、姉弟子さんは口をへの字に曲げながら微妙な顔をしていた。
『普通はしないわね。|Seekers《シーカーズ》の連中だけよ。剣や盾、弓や魔法で戦うのは。
あいつらこの技術で動画作成して銀河中で大儲けしてるから、よっぽどじゃない限り銃器は使わないわね。
フェアじゃないとか言ってアバターすら使わないのよ? 貴方も入ってみる?』
「………遠慮しときます」
どうやら頭がファンタジーな団体のようだった。死なない技術があるなら使おうよ。怖いよ。
『ファンタジーと言えば、最近彼らの影響を物質界の人々がかなり受けてる気がするわね。主に芸術関連で。
貴方も聞いたことあるでしょ、北欧神話は元々宇宙人の歴史だって。神話を元にしたファンタジーというジャンルは、超常的な科学力を理解できなかった古代の地上人の妄想に端を発しているのよ。
トールキンが指輪物語で登場させたアールヴの人々だって、数は少なくなったけど今も地球の異界で暮らしてるわよ』
と、訳知り顔の姉弟子。
しかし、最後に聞き逃がせない単語が出てきた。アールヴ。確かそれってエルフの昔の呼び名だよな。じゃあ地球に戻れば、俺もエルフに会えるってことか。……あれ、何で俺はこんな所にいるんだろう。
「あっ、なら、俺がそっちの調査に——」
「いらない、いらない。普通に交流あるから」
すげなく断られる。悩む素振りすらない。
溜息を付いて落ち込んでいると、姉弟子さんが生暖かい目で見てくる。
いや、恐竜とエルフどっちか選ぶなら、大半の人がエルフを選ぶと思うよ? 食べられたくないし。
『それよりも、ちゃんとマップで安全確保しときなさいよ。折角マップ教えたのに、野獣に食べられてこっちに戻ってきちゃったら、体が勿体無いんだよ。
また全ての材料が落ちてる所を探さなきゃならないんだから』
姉弟子さんが呆れるような顔で注意してくる。そういえばこの体もアバターとか言ってたっけな。
「姉弟子、つーか俺って死んだら地球に戻れるのか?」
『うん、戻れるよ。戻れるけど、戻さないよ? 仕事終わってないし。
こっちだって出費に見合う結果を出して貰わないと困るんだよ。
復活には体の材料が揃っている人気のない水場とか必要だし、体を構成する時間だって二日掛かるから、その制御のために人件費がかかる。
それに生体ナノマシーンを丁度良い場所に転送した後も、肉体を構築するために大量のエネルギーが必要になるから、君が戻って来ても借金漬けになるだけだよ?』
「——お、横暴だ! ブラック過ぎじゃないかっ!」
俺の記憶がないのを良いことに、言いたい放題な姉弟子。ニヤニヤ嗤っている。
だが、死んでも生き返れるなら少しは一安心。……だよな?
「はっはっはっ。責任の所在なら最初に明らかにしたじゃないか。君が師匠と約束してるシーンは証拠としてバッチリ記録してあるから、安心して仕事に励むと良い」
くそっ、最初から手のひらの上だったか。姉弟子は思ってたより頭が回るらしい。
とはいえ一先ず状況は確認できた。自分が納得済みだったことは予想外だが、今は棚上げする他ない。
日が暮れる前にこれからの方針を話し合って、安全を確保しよう。
生き返れるとか言ってたけど、保証なんてどこにもないのだから。